D51型その他 戦後の賠償措置でソ連に渡った5両を紹介します。
ソ連D51-1号機 場所 新潟県柏崎市錦町 JR柏崎駅前公園内
車暦 1949日本車輌 サハリンで1970頃まで活躍し、1990に日本に帰国 保存開始?
状態 塗装は退色気味 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好(安全弁の形が異なる) 運転室内未確認 屋外保存さ
れているが、最近の整備を受けた形跡はなく保存状態は普通である。歴史を物語る機であり今後の整備が待たれる。
* 2011/8 解体処分され現地には存在しない。 撮影日2007/9/16
再訪 2009/5/2 夕陽に照らされ機体がシェルエットのように浮かびあがっていました。現状に変化はありませんでした。
* 残念ながら2011/8にアスベストの撤去を理由として保存に対する考慮はされず、解体処分されてしまいました。
ソ連D51-23号機 場所 北海道沙流郡平取町振内町 振内鉄道記念館
車暦 1949汽車製造 サハリンで1970頃まで活躍し、1990に日本に帰国 保存開始?
状態 塗装が退色し各所に錆が見受けられる。後部ライト・清缶剤挿入装置欠 安全装置の形態が異なるが他の外装諸装備
は良好。運転室内は閉鎖されており未確認、ロッドや足回りに錆が浮き始めている。鉄道記念館も閉館しており放置の状態
であり、今後の成り行きが心配される。 撮影日 2009/8/13
* 再訪してみました。やはり塗装の退色と錆びが目立ち始めました。このまま放置されるのでしょうか柏崎市のD51-1
号機の例もあり、今後の成り行きが懸念されます。左リターンクランクにD5125の刻印がありました。右第三サイドロッド
油壷にはD5117(日立製作所製)の刻印があり、右先輪軸ツバも同様に考えられます。サハリン現地で運用中に転用
されたのでしょうか。非常に珍しくこれもサハリン輸出機の歴史を物語るものです。運転室内は左水面計のみ現存し、他
の諸計器類は装着されていませんでした。本機をもって北海道内の撮影予定機の撮影を全て終了しました。撮影後の夕
暮の残光を浴びる本機に別れを告げ、苫小牧東港に向いました。撮影日 2011/7/28
ソ連D51-25号機 場所 北海道勇払郡むかわ町宮戸 国道横民有地
車暦 1949汽車製造 サハリンで1970頃まで活躍し、1990に日本に帰国 保存開始?
状態 塗装は退色し各所に錆び・剥離・腐食進行 ヘッドライト球・後部ライト・清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備装着 運
転室内は完全な荒廃状態 屋外に保存というより放置されており、荒廃状態である。 撮影日2007/7/18
ソ連D51-26号機 場所 北海道勇払郡むかわ町宮戸 国道横民有地
車暦 1949三菱重工三原 サハリンで1970頃まで活躍し、1990に日本に帰国 保存開始?
状態 塗装は完全に剥脱し全体に錆び・腐食進行 プレート・前後ライト・清缶剤挿入装置欠 運転室内完全に荒廃状態
25号機よりも奥に放置されている。荒廃状態である。 撮影日2007/7/18
ソ連D51-27号機 場所 北海道野付郡別海町 西春別駅鉄道記念公園内
車暦 1949三菱重工三原 サハリンで1970頃まで活躍し、1990に日本に帰国 保存開始?
状態 塗装は良好でカラフル 後部ライト・清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類良好 室内良好
足回りもきれいに整備を受け、屋外保存であるが保存状態は良好である。帰国ソ連D51型機の中では最も良好な状態
である。 撮影日2007/7/16
* 4年ぶりの再訪です。錆や塗装に退色、汚濁雫が目立ち始めています。左第二動輪にD5121の刻印が、また
左第四動輪にはD519の刻印があります。同じソ連輸出の汽車製造2576番のD51-21号機、川崎車輛製造
3171番のD51-9号機の動輪をサハリンで運用中に転用したものと考えられます。 撮影日 2011/7/25
9600型 D50型 D51型1〜 D51型100〜 D51型200〜 D51型300〜
D51型400〜 D51型500〜 D51型600〜 D51型700〜 D51型800〜 D51型900〜
D51型1000〜 D52型 D60型 D61型 E10型